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尖閣諸島は私有地
「もともと尖閣諸島を開拓したのは福岡県八女市出身の実業家である古賀辰四郎氏。古賀氏は明治時代初期の1870年代後半、八女茶の販路拡大のために沖縄に進出。高級ボタンの材料になる夜光貝に目を付け、殻を海外に輸出して莫大な富を得た。その資金を元手に東シナ海の島々の開拓に乗り出し、1895(明治28)年、政府から尖閣諸島を無償貸与されました。カツオ節工場やアホウドリの羽の加工場を設け、一時は280人余りの島民が暮らしていました」(沖縄県在住の郷土史家)

島はその後、1932(昭和7)年に辰四郎氏の長男、善次氏に当時の価格で1万5000円(現在なら約2500万円相当)で払い下げられた(大正島を除く)ものの、第2次大戦の物資統制による燃料不足などで島の事業は中止を余儀なくされ、1940年代前半に無人状態に。戦後は善次氏の妻が島を所有し、70年代に入って間もなく、古賀家と親交があった埼玉県内の結婚式場経営者のA氏に約4600万円で譲渡されたのである。

「国がA氏と賃貸借契約を結んだのは02年4月です。賃借権者は総務省で、年間の賃借料は南小島が188万円、北小島が150万円、魚釣島が2112万円で、しめて2450万円。これまでにざっと2億円以上のカネを払った計算になります」(事情通)