金曜日通過

朝から 歩いた 9500歩


中国側が尖閣諸島を自国の領土と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第三条に基づいて米国の
施政の下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実(昭和二十八年十二月二十五日の米国民政府布告第二十
七号により緯度、経度で示されています)に対して、従来なんらの異議をとなえなかったことからも明らかです。のみ
ならず、先に述べましたように、中国側は、東シナ海大陸棚の石油資源の存在が注目されるようになった昭和四十
五年(一九七〇年)以後はじめて、同諸島の領有権を問題にしはじめたにすぎないのです。げんに、台湾の国防研
究院と中国地学研究所が出版した『世界地図集第一冊東亜諸国』(一九六五年十月初版)、および中華民国の国定
教科書『国民中学地理科教科書第四冊』(一九七〇年一月初版)(別添1)においては、尖閣諸島は明らかにわが国
の領土として扱われています(これらの地図集および教科書は、昨年に入ってから中華民国政府により回収され、尖
閣諸島を中華民国の領土とした改正版が出版されています)(別添2)。また、北京の地図出版社が出版した『世界
地図集』(一九五八年十一月出版)(別添3)においても、尖閣諸島は日本の領土としてとり扱われています。